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第一回森里海会議 第二部 活動事例報告(井村 辰二郎 氏)

December 10, 2017

 

 

 

◆ご挨拶

里代表としてお話しさせていただきます。

実は一昨日、12月8日は「有機農業の日」という記念日でした。

日本の中で有機農業推進法の制定された日です。その法律の制定へ尽力いただきました本野一郎

さんという大先輩が9月26日に亡くなりました。それと本当に私が尊敬をする、有機農業の第一人者と呼べる山下一穂さんが11月26日に永眠なさいました。お二人とも大先輩で、この場でお二人に感謝を述べたいと思います。

 

(会場スライドで説明)

こちらの最初の写真は私の父親で井村あきらといいます。

私は1960年生まれの53歳で、5代目の農家になります。

 

 

◆農業者としての立ち位置

今日のテーマなのですが、農林水産省は「農業の多面的機能」という言葉を数年前から積極的に使っていて、まさにこの図がすごくわかりやすいと思うのですけれども、畠山さんの海の係がいて、山がある。私たちはこの農地、特にこの水田、山にも畑があるのですが、真水を有効利用しながら景観であるとか、いろんなもの役割・使命を持って農業をしております。その中で私が選択したのは有機農業で、なるべく環境に負荷のかからないような農業をやっていきたいと思っております。

 

みなさんご存知のように2015年9月、国連で大変野心的な「2030年アジェンダ」というのが発表されて、私はこれを見たときに「あ、まさに農産業だな」というふうに感動しました。

本当に世界はこの方向へいくのだろうか、この17のアジェンダというのは本当に農業に関わるものばかりで、例えば水の問題であるとか、生物多様性の問題、貧困の問題、食糧問題、いろんなことが農業に関係してきます。この中で私たち農業者の立ち位置はどんなものなのだろうかということを日々考えながら携わっています。

 

農業分野のアジェンダって、いったい何なんだろうか。

15番目のアジェンダが農業界には一番親和性がありますが、この中で一つトピックとして言うと、2015年の時点で2万3千種を超える菌類を含めた植物種・動物種が絶滅の危機に瀕していることが調べられています。生物多様性(バイオダイバーシティー)は農業をやっている上で、大変大事なテーマだと考えております。

 

 

◆日本の現在から過去50年

私は53歳だとお伝えしました。この過去の50年というのを一つの区切りとして、ちょっと皆さん考えてみてください。昭和39年生まれですが、この昭和40年の日本の食料自給率は70%ちょっとありました。今はご存知の通り、40%を切っています。この50年でお米を食べなくなったということが一つ大きな要因ではありますが、もう一つは高齢化社会に入ってきているということです。それで農業者の高齢化が進んでいます。これもやはり、1964年、ここが私の生まれた年ですが、このとき1200万人の農業者がいたのが、いま200万人くらいに減っています。この50年で農業者がこれだけ減っていますということは、一番最初に出した図の田畑を保全していく人がどんどん減っているのが日本の現状です。

 

それともう一つは日本の人口が減って、30年後には8000万人くらいの人口になります。

その中で私たちは長く減反政策を指導されていて、私も30%減反して生産調整をしています。

来年から減反調整が無くなるんですけれども、先日石川県の水田協議会に出席した際、来年以降も石川県ではこれまで通り生産調整を続けていくということだそうです。

 

一方、世界人口です。

これから世界人口は増えてきます。この中で、日本の国としてどういう役割を持つのか。

私はお米をたくさん作って、水田を守って、もし輸出しなければならないなら、世界の飢えた人に日本のお米をちゃんと供給するというのがミッションではないかと考えております。

 

 

◆「千年産業を目指して」

私たちはフィロソフィーを持っています。

グループの経営理念は「千年産業を目指して」。これは20年前に私が農業するときに、まず最初につくりました。農業の起源は古く、日本では弥生時代から、世界ではメソポタミア文明の時代から、大変歴史のある、人類にとって大変必要不可欠な産業で、この産業は千年後に残さなければならない。こういう想いで自分の生家の生業である農業を大変価値があり、やりがいのある仕事だと捉えて私は農業の世界に飛び込みました。

 

2つのキーワードがあります。

一つはサステナビリティー「持続可能性」、そしてバイオダイバーシティー「生物多様性」。

この二つを20年前に意識して「千年産業を目指して」を宣言しました。

Think Globally, Act Locally「地球規模で考え、足元から行動せよ」という古い言葉があります。

しかしいま私が社員に言っているのは、Think Locally, Act Globally「地域を理解して、世界に向けて行動せよ」。

私たちの関係ないところで、例えば能登で農業している私たちに関係ないところでいろんな出来事が起こっています。例えばリーマンショックが起こって窓が売れなくなったり、いまも燃料が高騰したりとか、このグローバリゼーションをぼけっと見ていることもできますが、私たちはちゃんと地域を理解した上で世界に向けて発信していかないとこの先は農業が続けられない。そういういう想いでやっています。

 

同時に5つのミッションを作りました。

一つは、日本の耕作放棄地を積極的に耕します。二つ目は、有機農業を通じて、日本の食料自給率の向上に貢献します。三、新規就農者等の研修、受け入れ及び育成を行います。四、農産業を通して、地域の雇用を創造します。五、農業を通じて、東アジアの食料安全保障に貢献します。

同じく1997年、当時私は両親とアルバイト一人で農業をやっていて、米・麦・大豆を作っている農家だったのですが、このときにビジョンを作りました。

農作業というと6次産業化などという言葉もありますが、本当に基礎とするような産業であって、この農業をベースにしてどんなことができるんだろう。加工して売ることもできるし、自然電力、こんなことも考えられるだろう。このビジョンを1997年につくりまして、いまここに書いてあるだいたいのものは何らかの形でやっています。ここからはみ出ているのが、輸出とワイナリーです。実はいまワイナリーをつくる計画があります。

 

 

◆写真に見られる風景と暮らしの変化

こんなことで毎年10haずつ規模拡大をしていて、豆腐・味噌づくりから加工をスタートして、もう一つは環境保全型農業に転換し、この20年で約160アイテムくらいの製品がでています。これは全て私たちの農地でできたものが原料です。

これでだいたい私が考えていることや言ってきたことを説明したのですが、ここからは少し写真で私たちの周りの風景を見ていただきたいと思います。

 

日本海です。ここに昔、河北潟という海につながっている湖の汽水湖がありました。ここで私のおじいちゃんの代まで半農半漁という半分農業をして半分川魚をとる漁師だったのです。

日本の高度経済成長の前に、食糧増産ということで干拓事業というのが始まって、ここの水を全部抜いて湖の底を農地にしたのです。1100haの農地が、私が生まれた頃にできました。

 

大変自然豊かなところで、コンバインなどで畑にいるとミミズクが飛んできたり、この写真はシギと鴨ですね。ラムサール条約の基準を満たすくらいの数のシギがいます。それくらい重要な湿地です。海とか森とか綺麗なイメージですが、私たちの場所は潟ですので、湿地です。泥んこなので、レンコンが採れたりします。

 

この写真が60年前の、金沢市から30分くらいの風景です。こういう風景が60年前まで残っていたわけですね。

 

これは私が小さい頃よく行っていたのですが、菱(ひし)という実を採って食べていたんですね。

 

これが私の家の前です。こういう泥舟のようなものに乗って、潟に行って、漁をして、農業をする。これが私たちの生業でした。海とつながっていますので大変多様な生物が採れて、方言でいうと「おちょぼい」という魚を選別する作業を小さい頃に手伝っていました。淡水と海の魚が入り混じった豊かな生態系で、これが私の遊び場でした。ハッタミミズというものすごく長いミミズがいまして、こういったものを子どもたちと一緒に捕って、食育の事業をしています。

 

一方、河北潟干拓地でだいたい100haくらい耕作放棄地を耕作したら、耕作放棄地が無くなっちゃったんです。耕作放棄地マニアなので、能登へ行きました。能登も耕作放棄地だらけなので、すごいことになっています。大体30年くらい耕作放棄地でいると小木が育ってきます。そこを開墾して、こちらは蕎麦を刈っています。大豆やじゃがいもも育てています。

 

 

◆経済成長の生態系へのインパクト~有機農業への流れ

ここで2つのシンボリックな鳥、トキとコウノトリをご紹介します。

能登は世界農業遺産に日本で、先進国で初めて佐渡と一緒に認定されました。これは生物多様性が認められたためです。

もう一度50年を見てみたいと思います。

 

こちらは日本が使ってきた年別の農薬の出荷額です。私が生まれる10年、15年前はほとんど農薬が使われていなかったのですが、それが、私が田畑で遊んでいる子どもの頃から急激に化学合成農薬が普及してきます。私が生まれた年は、東京オリンピックや東海道新幹線が登場した年です。日本が急激に工業化へ向かって、里山が置き去りにされていたんですね。労働力が無くなるなかで、農薬や化学肥料などがもしかしたら必要なものだったのかもしれません。

 

私が小学生の時に、野生のトキとコウノトリが絶滅しています。これと農薬の関係はわかりませんが、農業というのは自然環境に大変大きなインパクトを与える産業です。おそらく大きなインパクトが生態系のなかにあったのかなと思います。私が就農した時期から、国も環境保全型農業を少し言い出して、少し農薬が減っています。私が有機農業を始めたから減ったのではなくて、時代はその時代へいっているのですね。私は50歳で、有機農業の第二世代、第三世代と言われていますが、時代の申し子なのかなと思っています。この自然が変わっていくのを幼年時代に体験しているんですね。これが実は私の哲学・価値観に直結して今の生業をしています。

 

これは能登で太陽光発電をしているところです。自然エネルギーにも興味がありまして、なるべく低炭素の社会を目指そうとしています。いま農林水産省で「地球環境小委員会」があり、ここの委員をずっとしています。農産業が生む温室効果ガスをどうやって減らしたらいいのか、こんなことを考えています。能登にひとつ拠点があります。古民家を譲り受けまして、ここで農家民宿をしています。修学旅行生に限定し受け入れをしているのですが、子どもたちと田植えをしたり、森歩きをしたり、蒔で火をおこしたりして多くの事を学びます。

 

 

◆「生物文化多様性」を育む担い手として

もうひとつは、先ほど畠山さんが唄が大切だとおしゃっていましたが、やっぱり文化・カルチャー、人が自然にどう関わっていくか、どう自然と共存していくか、ここにやはり人がいるんですね。ワイルドライフとなると、チェルノブイリみたいになってしまえば野生化はします。でも私たちはそこに一緒に住んでその中で文化を継承してきたという歴史があります。今その故郷マインドが無くなろうとしています。

 

これはこの地域の「猿鬼伝説」というものがあるのですが、これも子どもたちと一緒に学んでいます。日本全国、いろんな文化・お祭り・宗教があるんだと思います。

 

井村が22世紀に残したいもの、これはやはり「持続可能性のある農産業」「地域の生業」です。地域はどんどん疲弊していっています。能登の高齢化は待った無しで、日に日に農地は荒れていっていて、村が無くなっていくというのは大げさな話ではなくて、子どもが少なくなっていっています。でもそこを残していくためには、農業・林業・水産業などの第一次産業がしっかり生業として残っていかないと、日本(の自然)はどんどん野生化していくというふうに思っています。

 

最近ユネスコでは「生物文化多様性」と言って、生物の多様性の間に文化を入れています。やはり農業をして、地域で人が住んで暮らして、そこで文化を育んで、次に豊かな精神・スピリッツ・フィロソフィーを伝承していく。こういったものの大きな担い手として、農業・林業・水産業の担い手が必要なのかなと感じていますので、大変誇りをもって仕事をしております。

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

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