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第一回森里海会議 第二部 事例報告(佐藤 岳利 氏)

December 10, 2017

 

 

司会・小谷)続きまして、森のお立場からご紹介します。株式会社ワイス・ワイス代表取締 役の佐藤岳利さんに伺います。1996 年に豊かな暮らしをテーマとするインテリアブランド、 ワイス・ワイスを設立。現在表参道のショップでオリジナル家具販売およびインテリアコン サルティングサービスを中心に、六本木の東京ミッドタウンで日本の伝統工芸を世界に発 信する暮しの道具の専門店を経営されています。フェアウッド 100%による家具作りを提唱 し、国産広葉樹や FSC 認証などを積極的に使うワイス・ワイスグリーンプロジェクトを展 開されています。2015 年、宮城県の栗駒山のスギで地元の人たちとつくる家具、クリコマ シリーズで「ソーシャルプロダクツアワード 2015 東北復興特別賞」を受賞されています。

 

 

・森を作る家具

佐藤)こんにちは。よろしくお願いします。22 世紀に残すもの財団、主催者のみなさん、 ご来場のみなさんに感謝申し上げます。ありがとうございます。ご紹介にあずかりましたが、 今私は 53 歳ですが、今から 21 年前の 32 歳のときに思い切って脱サラしてワイス・ワイス という会社をつくりました。ご紹介いただきましたように、「森をつくる家具」というのを 今一生懸命展開しています。なぜ「森をつくる家具」ということで日本の木を使った家具作 りに至ったかということを話させていただきます。

 

 

・今までの仕事

私が大学のときは、青田買いがあるほど バブルの最絶頂期でした。本当に狂った時代で、大学はマージャンや遊びの仲間と落ち合う 場所でろくでもなかったんですけど、運よくいい会社に出会いまして、乃村工藝社という会 社だったのですが、海外事業部というところに入りましてニューヨークを皮切りに、香港、 シンガポール、タイと、ずっと海外畑で働いていたんですね。私は百貨店の伊勢丹担当で、 マレーシアとクアラルンプールとバンコクを作って、シャネル、プラダ、グッチといった 錚々たるブランドのお店をつくるということを 24~30 歳までの 6 年間ずっと海外してい ました。シャネルのお店をアジアでつくるときは針の穴を通すくらい難しい仕事で、責任者 をやっていましたから、具合が悪くなっちゃったんですね。ノイローゼみたいな感じで、もう仕事をやってもやっても全然面白くない。傍から見ると、大学出て、シンガポールでプール付きの家にメイドがいて、ものすごい暮らしをしてるように見えるけれど、働いてる自分 は嬉しくもなんともない。ノイローゼだから。

 

 

・少数民族との出会い

ちょっとすきを見てバリ島に行くようになっ たんですね。バリ島でガムラン聞いたりして、なんかいいなと思ってるうちに、ロンボク島 に行って、スンバ島に行って、ティモールに行って、と、どんどん奥に行くと少数民族がい っぱいいて、電気・水道・ガス、貨幣経済が全くないという民族がたくさんいることがわか りまして、何回も仕事の合間に行ったり来たりしてる間に、文明が入っていない民族であれ ばあるほど楽しく生きているということに気付き始めるんですね。いい大学に入って、いい 会社に入って、いい給料もらってマンションに住んでいる、こっちの方がノイローゼになってるっていう。結果あっちは腰蓑ひとつで現金見たことない人たちが大笑いして毎日楽しそうに生きてるってどうなってるんだって、自分の中で生きていく目的や幸せの概念が崩 壊するわけです。こっちの島の方がいいなって思って、そうするとあまり何回も同じ兄ちゃ んが来るので、酋長が気に入ってくれて、娘をやるから結婚して酋長にならないかって言っ てくれるんですね。やっぱり俺はそういう運命を持って生まれたんだと思って、飲んでたら 飲み過ぎて、その辺で吐いてしまっていた時に、俺が酋長になったらだめだなと。俺が一人 で酋長になって幸せになっても、何が嬉しいのかと。俺は日本に帰って本当の豊かさってい うのを真剣に向き合うようなそんな仕事をするべきじゃないかっていうことを思ったんですね。

 

 

・ワイス・ワイスの立ち上げ

シンガポール支店に戻ると、それを見ていたかのように辞令が下りて東京本社勤務を 命じるってことで東京に戻ったら、またすごいことが起こって。社内ベンチャー募集っていうのがあって、募集して作ったのがこのワイス・ワイスで、テーマが「豊かな暮らし」とい うことです。夢と希望を持って、豊かに暮らすんだということで、まずは暮しの道具を充実 させていこうということで、家具ですね、家具や雑貨の事業から始めるんですけど、それこ そ経済社会のど真ん中でデザインやプロダクト、またはブランドを作っていくとかそうい うところで大変な競争があるんですね。

 

 

・転機

そんな中でちょうど追い風が吹いて、アジアブーム とインテリアブームが来て、一気に会社が成長するんですけど、耐震偽装の姉歯事件が起こ るんですね。仕事をしてもしても儲からなくて、気が付けば中国で家具作りしないと予算に 追い付かない。中国で無理やり仕事をすると品質問題が起こって、やり直しをするとまあ何 百万何千万単位で赤字が出ていく。早く、安く、おしゃれでかっこよくて、というサイクル の中でぐるぐる回るうちに具合悪くなってまたノイローゼになるんですね。何のために日本に帰ってきてこの会社作ったんだということを思い出すんですね。

 

 

・日本の木材の現状

それでなんでこんな に物が安いのかなっていうことに、そんなに興味がなかったんですけど、中国の現場に原木が運ばれてきてコンテナが出ていくのを見て、こんなモノづくりのスピードでファストフ ァニチャーが作られていったら、地球がもたないなっていうのを直感的に思ったんですね。 それで環境 NGO の友人がいたので聞いてみるとそれはロンダリングだよって言うんです ね。違法伐採木材を中国に入れて家具にして日本に入れるっていう仕組みがあるんだよ、と。 知ってるか、日本中に世界の違法伐採木材がどんどん入ってきてるんだよ、と言うんですね。 私は知らなかった。アメリカやヨーロッパ、オーストラリアといった先進国は、違法伐採木材を取り締まる法律が非常に厳しくなってきていまして、それこそ売るだけじゃなくて買 うことでも罰則、罰金もあるんですね。企業によっては何百億円という罰金を科された企業 もあるほどですが、わが国では原木や丸太だけは取り締まっているが、いわゆる加工品、家 具の完成品は全くチェックされずに入ってくる。ロシア、インドネシア、マレーシア、それこそ熱帯雨林といわれる地域から、加工された状態で日本に入ってくるというのがひとつ のビジネスモデルになっているということがわかりまして、そんなことを自分がやっても 意味ないんじゃないかなということを思いまして。

 

 

・挫折と挑戦

そのころ 2 つの出会いがあったんです けど、ひとつが環境 NGO で、「お前がやる気があるんだったらフェアウッド 100%の本当に循環型の 21 世紀型の会社に再生する手伝いをしてやる」と言ってくれたこと。もうひと つが、私は遅まきながら 44 歳で結婚してすぐ子どもを授かって女の子が生まれたんですけ ど、その女の子との間にこんなことがあったんです。環境の勉強会に出て自分が家具屋だっ ていうことをその場で言ったら、その席で、デューデリジェンスやトレーサビリティの管理 をやってるかと聞かれて、実は工場に任せてやってないんですよと言ったら、「信じられな い。お前は金のためなら何でもやるのか」「お前みたいなやつがオランウータンを殺しているんだ」と、囲まれちゃっておっかない思いをしました。それでですね、本当に打ちひしが れて、赤字で倒産するんじゃないかとか、会社では役員間で大ゲンカだし社員はやめていくし、全部お前のせいだみたいなことになってですね、池袋から恵比寿の自宅まで明け方まで とぼとぼ歩いて、本当に自分は死んだ方がいいんじゃないかと思ったくらいのときに家に 帰ったら、子育てに疲れたかみさんとその娘がすやすやと寝ていて。あぁ、この娘のために 俺は頑張らないといけないなと、お父さん頑張ってたんだとこの娘に思ってもらえる生き 方がしたいと思って、それでグリーン宣言をしてフェアウッド 100%というところに持って いきまして。デューデリジェンスってすごい大変なんですね。日本に入ってくる木ってそういう状態なんで、輸出商社から輸入商社、輸入商社から完成品、と、私が今日お話ししたか ったのは出口のところだったんですね。

 

 

・活動事例

今日お渡しした資料の中で「森をつくる家具」とい うフライヤーが入っていまして、例えばドリーム・アーツという広島のオフィスです。放っ ておくとオフィスってスチールやプラスチックになってしまうんですけど、広島の木を使 って広島でオフィスを作りました。セトレマリーナびわ湖っていうホテルがありますけど、 これはホテルが建設される近くの山の木を使ってホテルをつくりました。パタゴニアさん は今までロサンゼルスから木を運んでいたが、全てローカル調達するということで、神奈川 県のケヤキの木を使ってお店をつくりました。富士山世界遺産センターは山梨県側の木を 使って作りました。最後に写真を一枚持ってきまして、ぜひ見ていただきたいんですけど、 これは宮崎県諸塚村の小学生です。宮崎県諸塚村はシイタケの原木栽培が始まったといわ れる地域ですが、今シイタケ栽培が中国にいってしまったので、原木がもういらないんです ね。山でクヌギやコナラが大きくなりすぎて困ってしまったと、役場から電話がありました。 この写真に映ってるのがシイタケ原木で作った家具なんです。そしたらなんと小学生が毎 年毎年修学旅行で東京へ来て、なんでこのおじちゃんたちが東京で諸塚村の木を使ってる のか勉強するようになって。私たちが諸塚村に行くと教壇に立って先生になって教えると いう、そういうことが起こってるんですね。ノイローゼのころに中国で作っていたころは、 誰が作っているかなんて名前も知らなければ全く知らない人が作ってたんですけど、今は 誰が木を切って、誰が製材して、ということはもちろん分かっていますし、それからそれ以 上に村の人や子供たちと交流が生まれてきて、こうやって仕事ができるんだと実感がわい ています。

 

 

・社名の由来

会社名は英語で wise(ワイズ)ですが、日本語でワイス・ワイスにしました。カンパニー ロゴを見ていただくと、知恵を持った人が隣の人と手をつないでみんなで知恵を分かち合って、いい世の中、いい未来をつくっていこうという思いで作りました。 

 

 

 

 

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