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第一回森里海会議 第二部 事例報告(池田 雅子 氏)

December 10, 2017

 

◆挨拶

みなさん、こんにちは。今、ご紹介を頂きました長野県佐久市から参りました池田雅子と申します。今日このような機会を与えて頂きました渡邊社長はじめスタッフの皆さんに心から感謝申し上げたいと思います。私は今ここに立っているにあたり、森で今まで出会ってきた生物たちに「今日はしっかり森のことを伝えて来いよ」と言われているように思っています。私の目の前にいる皆さんに森のことを伝えるパイプ役をさせていただけたらいいなと、私の仕事はただそのひとつだと思っています。

 

 

◆森と関わるきっかけ

ここにおもてに描いてありますこの絵も私が描きました(スライド―表紙の絵)。さきほどご紹介頂いたのですが、私と森との出会いは、私が「慢性疲労症候群」という病気にかかったことからでした。この病気になると様々な症状が出るので、人と会うのが困難になっていきます。その中で、家族と過ごした場所がこのような森でした。そこで私は絵を描くことを始めてすごく治癒したんですね。それで森林と人のこころのつながりには何か理由があるんじゃないかと、それとこれで自分が本当にすっかり―いま皆さんは私を見てどこか病気を持っていると思われる方は少ないと思うのですけれども―森林を使ってこころのケアができるんじゃないかということを思いまして、森林を使うならまず森を痛めてはいけないだろうということで森林生態学、そのときは森林生態学ということがあることも知らなかったんですけれども、たまたま紹介された先生が森林生態学という分野(のご専門)だったんですね。森林生態学というのはすごく新しい学問です。山を、だいたい森林をやるので古いのは林業なんですね、日本の場合。森をつくっていく、それはもう江戸の初期から、というのも人間は―日本人は森林を活用しなければ煮炊きができなかったので、山を使い、森林を使い過ぎてしまうんですね。きょうはここに持ってこれませんでしたけれども、昭和の初期まで、日本の山は実は森林が、木が少ない。特にそこに戦争が大きく関わっています。いまは日本の森林は、国土の面積の何パーセントだか、皆さんご存知ですか。林野庁のは発表によると、50%は森林だと思う方いらっしゃいますか。50%以上だと思う方ちょっと手を挙げていただけますか。ありがとうございます。だいたい67%といま発表されています。70%ですね、こんなに日本国土に森林が多かったということは今までないです。それは過去の日本人と森の関り、使い方を見ていけばたくさんの資料がでてきますのでご興味を持っていただければ見て頂ければと思います。

 

 

◆森の形態

もうひとつ、森林の形態についてなかなか区別されていないと思うのですが(スライド―「森林の形態」植林、里山、自然林の写真)、だいたい皆さん目にされるのは植林された山、これは本当に「拡大造林」というのが戦後ありまして、これだけの植えられる面積を戦時中に全部切ってしまったということです。植えたということはその前に「切る」という作業があったということを知っておいていただきたいんですけれども、そのときになぜ針葉樹を植えたかということがあるんですが、ご興味あればのちのちお話させていただければと思います。

次に里山。里山というのは地域のことを言っているので、山のことを言っているんじゃないんですね。目の前にあるような農地があって民家があって、そのまえに煮炊きに使ったり、生活に使う薪炭を採る山がある。その地域を総称して里山と呼んでいるんですけれども、これは昭和60年代の造語です。それまで里山という概念はなかったんです。当たり前の生活だったんです。人間が山に入って薪炭をとって、下草を剥いで、それを煮炊きにも使い、畑の堆肥として使う。なので昭和の初期まで日本の中には本当に森林はなかったんです。でも戦時中、明治時代もそうですが、日露戦争、日清戦争のとき非常に森林を伐採しました。あちこちに災害があったんです。やはり山が崩れてくるのでその都度、その都度植えてきたんですけれども、植えてもまた使わなきゃいけない、という状態が昭和の初期まで、太平洋戦争が終わるまでなので昭和二十年くらいまでは―これは聴き取りをやってそうなのですが、戦争が終わって帰ってきたら自分たちが遊んだ山が丸裸だったという、切ない思いをしたという聴き取りをたくさんさせて頂いております。

最後に、自然林。これも人間の手が入っています。日本の山の中で人間の手が入っていない山というのはほとんどないと言われています。原生林というのもないです。今は言葉を変えて原生林的という言い方をするようにしています。原生林と言ってしまうと、人が入っていないイメージを持つので、原生林的森林というのが自然林とか天然林とか言われています。今日、森林生態学というのは―植林された森は森の生態であるわけです。里山には里山の生態がある。これを良いか悪いかを判断するわけではなくて、今こういう実態にあるんだ、こういう回転をしているんだというのを見ています。これをどう使っていこうか、どうしたらどうなっていくかを予測していくのが森林生態学の仕事になってきます。植林地も里山も放置しておけば、いずれ極相という最後の形、クライマックスという形に向いていきます。それが自然林のひとつの形です。

 

 

◆極相林

私がほとんどガイドさせていただくのはその極相林のガイドをさせて頂くことが多いです。森林は動いていると書いてありますけれども、里山や植林地はほとんど人が手を入れて一定の年数をかけて木を育てたり、使ったりしています。その中で木の姿を人がつくっていきます。ですから枝打ちをしたり、間伐をすることによって太い木を作るとか、それをしなくなったので人は「荒れている」という言い方をするのですが、私たちにしてみると、生態学からみるとそれがその森林の姿です。なので、それをどうしていくのかというのは生態学の分野ではなくて、それこそそれをこれから使っていく方々がこれをこのままにして極相林にしていきたというのか、材を使いたいので手を入れたいというのか、ということは林業の分野の方々が決めていくことだというふうに教えられてきました。なので私たち生態学はそこで判断はしません。あくまでも今こういう状態です、というふうにお伝えします。森林が動いているというのはこの極相林の中では本当に、いま生まれたところから始まって、その中で競争が始まり、50年林、その次にその50年林、60年林の木にはそれもいつも競争しているんですね。残っていくものが100歳、200歳、300歳、400歳となっていき、どんなに巨木であっても最後に必ず死を迎えます。必ず朽ちていきます。朽ちて倒れると、最後に他のいのちをその上で成長させていく、糧になっていくのですけれど、そうやって分解されて土に還っていく。これはカヤの平のブナ林なんですけれども(スライド―「自然林:樹木が生きようとする力」ブナ林の風景)、私が信州大学の生態学をやっていたので、必ずこの森を研究していかなければいけないので、ここでずっと研究させて頂いたんです。このようにブナが回転しているんですけれども、このブナの回転に対して、当然違う生き物が「狩り」をしていきます。

 

 

◆自然林の魅力

もうひとつ、自然林の中で見られるのは木の姿なんです。言い換えれば、木がどうやって生きているかさきほど言いましたように、植林というのは、植林も里山も人間が手を入れて木の姿を使っていきます。でも自然林、極相林の中では木は自分の力で生きていきます。なので、どうやって木が生きようとしているか、生きていこうとしているか、ということを見ていくことができます。その中で言えることは、どの木もどの生き物も自分が生きることを一番大事にしているということです。他のものを考えて生きているのではなくて、まず自分が生きること。この次にあるのが繁殖です。それで遺伝子を残すこと、それだけをシンプルにやっています。それをやることが不思議と生態系というものを作るんですけれども、その生態系というのは、本当に細かいネット状のような状態です。すなわち直接につながっていなくてもどこかで何かがいなくなるとそれに関わるものが少しずついなくなって、だんだん生態系のセーフティーネットが崩れていく、今、そういう時代になっています。

 

 

◆森の生態系をアートで伝える

そういうものを見てきた中で描いた絵がこれです(スライド―リス、ブナの種子、猛禽類の3枚の絵)。リスはブナの種子を運びます。種子は発芽するんですけれども、リスを狙っているのは猛禽類です。じゃあリスは猛禽類に食べられているだけなのかというと、実はリスは木の実だけを食べている可愛い生き物ではないんですね。鳥の卵を襲って食べます。ヒナも食べます。死んだ昆虫も食べています、つまりグルグル回るんですね。リス系の生き物も自分のいのちをつなぐためにそれをやっているのが、先ほどから何回も言いますように、生態系を作り上げていくんです。リスがいなくなれば、当然次の種子散布がされなくなるというふうになります。そこを単純な食物連鎖じゃなくて、そこに菌類が関わったりというのを見ていくのが森林生態学なんですが、このように回っているものを見たときに私は絵を描きたくなるんですね。今日(のお話でも)歌とか詩ということが出てきたんですけれども、私は絵を描きたくなります。森のものというのはたしかに水とか実質的なものもあるんですけれども、やはりこころを動かしてくるとそこから生れてくるのが歌であったり、絵であったり、詩であったり、そういうものが表現できなくなっても自分のこころに何か残っていく。それを言葉で発信したりしていくのが、今、俗に言われるアートと言われるものだと思います。

 

 

◆山の神

そうやって巡っている間に出会ったのが山の神だったんですね。先ほどご説明したのですけれども、私はやはりこころとのつながりが大事だったんです。こころの中でも癒されるとか、優しいとか、そういう正の感情ではなくて、負にどうやっていくかです。森林の怖さを知らなければケアはできない、森林学をやっていると必ず怖いものに出会ったときどうすくい上げるかということのほうが大事なんです。そこで、何が怖いんだろうというものをずっと考えたときに出会ったのが山の神だったんです。この山の神というのはコノハナサクヤヒメとかいうきちんとした固有名詞を持っているものではなくて、地域地域に棲んでいるんです。その地域、その地域に棲んでいるものでこの山の神というのはほとんど女性だと言われています。なぜ女性だと言われているかというと、女はすべてを生み出すものだから、山はすべてを生み出すものだから、それを人はもらっているんだという意識をもって山を使っていたのが実は昭和の初期までで、これは口頭伝承なんです。記述で残っているものは本当に少ないです。地域地域で、口でおじいちゃんが話して、お父さんが話して、お母さんが話して、それをまた子どもが聴いてそれを守って山で遊んでいく、というのが昭和の初期まで伝わっていたのは、やはり煮炊きに使っていた、生活の中にあったからなんですね。でも戦争が終わって「拡大造林」になったときに林業は「業」になったので、経済につながると週休2日になって、週休2日になってくると山の日とか、山の神の日とかは必要なくなってきたんですね。で、みんなこういう口頭伝承がなくなっていったというのが今です。その中で山の神は何になったかというと「田の神」にもなっていったんですね。田の神にもなり、水の神にもなり、地域によってはお産の神様にもなっています。というのは、すべてを生み出すから、山の神様を迎えにいくと安産になる、と言われて佐久市の志賀というところにはその記録が残っています。お産が始まったら馬を連れて山に行き、山の神様を連れてくると安産になると。山の神というと、「ウチのカミさん」と今もおっしゃる方いますか。「ウチのカミ」「ヤマのカミ」だと、非常に怖いんです。山の掟を破るといのちを取られる罰があるんです。なので山の神の掟は絶対なんですね。

これはカヤの平にある山の神の木なんですけれども(スライド―大きな木の姿)、山の神の木というと奥にあると思うんですけれども、山の入口の方に比較的あるんです。まず山に入るときに必ず挨拶をして入る。これが山の神様のところへの領地に入って、私たちはいただきますというふうにお願いして入るものなんです。それが山の神の木で、その怖さを共通して持っているということは、やはり人間の中に山に対する―今はもう死語になっていますけれども―畏敬の念をきちんと持っていたんだと。今はどこでも足があれば入っていってしまう、機械があれば木を切ってしまうという時代なんですが、それをやると山の神様、怒って何をするかというと、山を崩す、人の上に木を落とす、そういうことをすると言われていました。山の神がいつから発生したかというと、実は縄文時代からなんです。もう縄文時代から山の神という信仰は始まっています。私たち日本人はずっと山の神の信仰をもって、それが弥生時代になって稲作が始まっても、山の神は田の神になるよ、といって山の神の意志を継いできたんですね。弥生人は縄文人を「切ってしまった」のではなく、それをきちんと受け継いで弥生人というものを、稲作文化を伝えてきた。それが昭和の初期ですが、今ここにきて初めて聞いたという方はたくさんいらっしゃると思うんです。これは口頭伝承で森とのつきあいが本当に少なくなってきたからだと思います。

 

 

◆コノハナサクヤヒメ

これは佐久市の平尾山というところです。この山頂にはコノハナサクヤヒメが祀られているんですけれど、「コノハナサクヤヒメが祀られていますよ」とここでガイドをすると、佐久市の方でも驚かれるくらい忘れられているんですけれども、以前ここは里山でした。で、聴き取りをしたときに、やはり戦後ここは丸裸だったそうです。もとはアカマツ林だったので松根油といって油を採ったそうです。戦争の最後の方、日本は油もなくなってきたらアカマツの木から油を採ってゼロ戦の戦闘機を動かしていたと言われています。そのくらい丸裸になって、その次に何をしたかというと、国の政策で養蚕が盛んだったから桑を植えたそうです。桑を植えて、ずっと桑畑でやってきたと。その次に何があったかというと「もう、養蚕いらないよ」となったときに次に国が進めたのは果樹です。桃だったんですね。ここは桃源郷と言われるほどピンク色になっていました。それは私も子供のころだったから覚えているんですけれども、それが20年前、長野オリンピックの際、高速道路ができたんです。高速道路ができたので「もう桃はやめてください」となって、ここは「ハイウエーオアシス」となり、温泉になったりスキー場になったりしています。このように一見、山と言うんですけれど、国が向いている方向に使われているんですね。これがいいか悪いかじゃなくて、こういうふうに動いています、ということを知っていただけたらいいなと思います。

 

 

 

◆活動事例

今、皆さんは森を外から見ているのですけれど、私の仕事としてあるのは、森の中を見る仕事なんですね。いま何の仕事が来るかというと―この1枚の写真を見て何か変だなと思う方いらっしゃいますよね。これを起こしているのはニホンジカなんです。何がおかしかったかというと森林の中に低木とか草がないんです。もうひとつの(写真の)ほうは、笹が全部枯れて箒のようになって、これニホンジカのインパクトなんです。シカが増えていくと実はこういう山ができて、再生できない山ができてくるんです。これを話すと長くなるんですが、今、このニホンジカを緊急で減らしていかなきゃいけない時代になっています。なぜ減らさなきゃいけないかというと、下層植生と次の森ができないんです。土砂層土としてもう土砂崩落が始まっています。植物が森林の中にあるということは植物がリンを消費してくれているんですね。でも消費をするものがないので、リン過多の水がどんどん河川に流れ込んでいます。そこを証明するのがなかなか難しいんですけれども、それを証明してくれたのは京都大学で「シカの食圧がかかった森の水質はリンが過多になっている」と論文が出ています。なのでこう書くとシカが悪いと言われてしまうんです。シカは悪くないです、食べているだけです。生きるためだけに食べているんですけれども、人間のために、人間が生活を営んでいるために、それもこのすぐ下に住んでいる人達だけでなくて都市の人たちに流れていく水とか土砂崩落を止めるためにニホンジカの数を減らしてください、というのが今、環境省がやっていることです。

 

もうひとつが外来種です。外来種がなぜ困るかというと―向こうの多くの写真が佐久市のアカマツ林です。アカマツ林が全部枯れているのですけれど、マツノザイセンチュウという小さい線虫です。それがなぜ入ってきたかというと、これは輸入された木材に入っています。なので物を移動するということは、自分が欲しいものだけが入ってくるのではなくて、見えない小さなものが入ってきている。これを見ていただくとすぐ下に家があります。この松害がどんどん進むと、当然この家のところにどんどん土砂が出てくるわけです。水も流れてきています。そういうライフラインのカットの怖さもあるんです。一番怖いのはやはり多様性の低下です。こちらがニセアカシア、針槐(ハリエンジュ)。これは山を留めるため、緑化のため、昭和の初期に日本の国が入れています。でも、これは繁殖力がたいへんに強く、ほかの植物を枯らしながら進んでいき当然枯らしていくので多様性がどんどん下がっています。でもこれもこの植物が悪いわけではないんです。これは西アメリカか北アメリカ原産なんですけれども、大陸で闘うためにはこういう戦略をいっぱい持たなければ生き残ってってこられません。植物というのは動けないので、動かないならだったらどうやって自分が生き残っていこうかと考えたときにそういうアレロパシー(Allelopathy)という、他のものを枯らすというものを持ったものが生き残っている、それが進化と言われるものです。

 

日本はご存知のように(周りが)海なんですね。温かい海なんですね。緯度にしては非常に高温多雨なので、高温多雨なだけではなく南北に長いので非常に植物が豊かです、南北に長いだけじゃなくて実は一気に高度が上がるんです。先ほど富士山の話も出ましたけれど、長野県は北アルプス、中央アルプスと、一気に2000メートル、3000メートル級の山ができるということは植物が大変豊かである。植物が豊かということは植物が一番消費される側なのでとにかく食べられる、食べてくれる。食べ物がたくさんあれば当然昆虫も増える、昆虫が増えれば動物もいる、鳥も増えてくるということで、それこそ多様性が豊かで日本独特のものだったんですけれど、外来種が入ることで減ってしまうということで、なので外来種を入れることは―覚えておいて頂きたいのは自分の欲しいものだけが入ってくるんじゃないよということです。

 

 

 

◆最後に

よくお話しするのは、私たちは非常に安定した車に乗っているんですけれども、今、第六紀の絶滅時代と言われています。それはなぜかというと見えないところでどんどん絶滅が進んでいます。バネが一本とかビスが一本とられるくらいだったら安全なんですけれども、どんどん進んでタイヤが取れてしまって、最後にハンドルがとれちゃったよとなったらどうでしょう、皆さん。安全に走行できますか。これがいま私たちが乗っている地球の状況です。これを誰が作っているかというと、「温暖化」とかとても影響しています。実はニホンジカが増えていくのにも温暖化が影響しています。このようなことで、私たちの仕事というのは調査をしながら現実のことを皆さんにお伝えして、森から見てきた外側、森から見ている町、森から見ている地球-というのは今たいへん22世紀に残せるどころじゃなくて、100年後には海抜が60センチ、80センチ上がるというのも確実に言われています。そういうことを皆さんはどうしますか。私たちは学問的にはモホ・サピエンスと言われています。ホモというのは人族(ヒトゾク)です。サピエンスは賢い人、知恵のある人という意味です。賢い人、知恵のある人といわれる私たちからこの問題をどう解決していくのかという時代がきていると思います。

最後に、こんなことをやりながら、やはり森はやさしいなと思うのはこういう絵が私の中に浮かんでくるときです。ぜひ皆さん、町にいても森のことを思っていただけたらと思います。どうもありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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