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第一回森里海会議 基調講演 畠山 重篤 氏

December 10, 2017

 

 

◆はじめに

私は本職は牡蠣やホタテの養殖業で、父の代からで私は二代目です。今では息子が三代目を継いでくれており、四代目を継ぐべく孫は七人も生まれました。孫の代で100年になります。

やっぱり「食べていかないといけない」のです。同じ仕事で100年食っていくのは生半可なことではなく、口先だけでは続きません。そういう意味で、私達の「森は海の恋人の運動」は、いろんな面で評価を頂いていたと思っています。

 

 

 

◆現状

東日本大震災では気仙沼も大変で、めちゃくちゃになって「海は生き物が姿を消して、海は死んだ」という学者もいました。海は死んだらどうしようもない訳ですが、現実として、目の前の海に生き物がいなくてはどうしようもありません。もしかしたら本当に死んだのではないか、と思いました。漁師になりたいと言ってくれている孫の夢を砕くことになり、もうこの仕事をできないんだと言わなくてはならないのは苦しい思いでした。しかし、3.11のあと4月5月と暖かくなってきますと、海辺に生き物の影が少しづつ戻ってきました。

 

15年前から京都大学と関わっています。学問の世界は縦割りで、水産、漁業、農業、河川業、林業と別々になっていたものを、トータルで考える学問にしたいと農林漁業の連環学が構想されました。ヒラメ研究の田中克先生が森里海連環学という学問で、世界で初めて森林からから海まで包括しトータルして見られるものです。

海から山を見通す視点を持つ人として学生に京大で話をしてほしいと言われて、京大の総長から辞令が来ました。長靴を履いた漁師に、です。

こうして京大に通うようになり、夏休みにはポケットセミナーという制度があり、少人数の学生に教授がついてフぃールドワークをするのですが、その場所として気仙沼を選んでもらい、学生さんたちも来てくれるようになりました。学生も文系と理系のまぜこぜで、海から森まで往復している内にモノの考え方がガラリとひっくり返るような体験をして、受験でばつをつけられた人がすっかり表情が変わってきてよかったということがありました。

 

 

 

◆原因

あの震災は1000年に一度と言われましたが、どう環境に影響を与え、どう変わってしまったかの調査がはいりました。京大の田中先生が仲間と一緒に来てくださいました。

海の植物プランクトンがどうなっているかをとにかく見てほしいとお願いしました。海が死ぬということは、食物連鎖が進まないということです。食物連鎖は植物プランクトンが生まれ、動物プランクトンが生まれ、それを小魚が食べ、それを大きな魚が食べるというものです。食物連鎖の底辺にある珪藻類という植物プランクトン、それがどうなっているかが一番気になっておりました。珪藻類がしっかりしておれば、海は大丈夫なんです。

今日は水俣の人も来ていると聞きました。水俣の海は水銀に汚染されたため、海中の水銀が植物プランクトン、動物プランクトン、小魚、大きな魚、食物連鎖していく家庭で濃縮が起こり、1000倍に濃縮されてしまいました。そこに水銀を流してしまった、1000倍に煮濃くなった、そのためあのような悲劇が起こったのです。

 

 

 

◆海の生態系の復活

田中克先生は、海を調査して、「畠山さん、安心してください。牡蠣が食いきれないくらいの植物プランクトンがいますよ」と言ってくださいました。その言葉は、海に生きるものにとっては天からのメッセージでした。「もう一度この商売を続けられる」と勇気をもらいました。そうして、もう一度流されてしまった牡蠣の筏を作る作業が始まったのです。

さらに、何故海の回復が早かったのか。ここですよ。田中先生は「森は海の恋人の勝利です」と言われました。30年近くやってきた、環境を整えてきた「森から海運動」が真理です、と明言してくださいました。

それまで漁師が中心になって木を植え続けてきたことは間違っていなかったと、確信を得ることが出来ました。

私達は木を植えると同時に、川に住んでいる人々の環境に対する意識が変わらなければ海は変わらないと思っています。平成元年に植林を始め、森から海がどうつながっているか、子どもたちにおしえる体験学習をやってきました。私たちは山に木を植え続けてきましたが、もう一つの軸は、教育なんです。素人の漁師たちがやる体験学習が子供たちの心を打つわけですよ。これはとても重要なことです。

こういうことをやろうとすると補助金と考えがちですが、3年位で補助金は切れて、切れたらみんなやめてしまうんです。だから、生活がかかっているということもありますが、私達は腹を決めて、公の資金を借りないとしたことが、大きな原動力になりました。それは子供たちの顔色を見ればわかります。役場のイベントは段取りがしっかりしていて仕事はきれいですが、子供の心は打たない、打ち方が違うんです。やらなきゃいけない仕事をやらずに子供たちを海に招いて、自分たちの仕事を削って伝えたいことを伝えようとしている、そのことを子どもたちはしっかりと感じ取っています。

 

 

 

◆大学との連携

京都大学も森里海連環学をはじめました。また、林野庁が京都大学で魚類学をやっている学生を採用した、こんなことは今までにはありませんでした。こうして時代が変わってきています。世の中の仕組みが変わって行っていることを実感として感じています。ですから、自然に負荷をかけない生活、オーガニックな生活ということが大事になってきています。自然のそういうつながりを、子どもたちを中心に言いつづけてきました。子供たちの心の中にも木を植え続けてきた。それが今日のタイトルですが、そこを一番評価して頂ければ嬉しいかなと思っています。

今では小中高校の教科書に「森は海の恋人」は取り上げられています。小5の社会の教科書にはほとんど全部の教科書にこの運動のことが掲載されています。中3の国語の教科書には、私の文章が掲載されました。受験の対象になりますね。またおととしから高1の英語の教科書にも10P出ています。

 

 

◆「森は海の恋人」をどう翻訳するか

この英訳については、「森は海の恋人」をどう翻訳するかという大問題がありました。

そのまま翻訳すると「The forest is darling of the sea.」ということになりますが、これを英語圏の人に言っても全く通じない。大体、これは品がないですよね。それで実は思い切って、畏れ多いことに、美智子皇后陛下にお願いをしたのです。

 

実は、朝日新聞社の「朝日森林文化賞」を受賞したおり、皇居に招かれ両陛下に森は海の恋人のお話をさせていただきました。食物連鎖や森の養分など魚臭い話ばかりでは面白くないなと思い、気仙沼出身の国文学者の落合直文の話をしました。明治の頃、それまでの貴族を中心とする和歌を庶民のものにしようという運動があり、短歌が生まれました。落合直文は正岡子規と一緒にそういう活動をした人で、一番弟子にはあの与謝野鉄幹がいます。その薫陶を受けた中に農民詩人の熊谷武雄という人がいて、こういう歌を詠んでいます。

 

「手長野に 木々はあれども たらちねの 柞(ははそ)のかげは 拠るにしたしき」

 

〈手長山にたくさんの木はあるけれど、柞の森に近づくと、まるでお母さんの側にいるような気持ちになる〉という意味です。「たらちね」というのは、お母さんを象徴する枕詞ですね。日本の森は本来雑木林、それはははその森であり、森の動物を育て、森の腐葉土が川に流れ、川の生き物を育て、海で海の生き物を育てる自然界の親であるということです。

雑木林は役に立たないと言われますが、昔の人はははそといって母になぞらえていました。

 

それをいち早く見抜かれたのが皇后さまです。『瀬音』と言う歌集の中で

 

「子に告げぬ 哀しみもあらむを 柞葉(ははそは)の 母清(すが)やかに 老い給ひけり」(昭和53年歌会始 お題『母』)

 

と歌われています。

皇后という立場に自分を嫁がせたために多くの哀しみがあったでしょう、でも清やかに歳をとられましたね、ということです。

雑木林は自然界の母とご理解され、漁師がははその森を上流に作るというのは、きれいな森と川をつなぐこと、それは大事だとわかっておられたのです。

 

 

 

★書き起こし者付記

熊谷武雄の孫の龍子の「森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく」という歌から生まれました。(中略)「森は海の恋人」という宝石のような言葉は、落合直文から連なる百年の系譜のなかから生まれました。

 

 

私は、「森は海の恋人」の英訳のヒントを頂きたいと美智子様に手紙を書きました。そうしましたらある日女官長室からFAXが届き、夢のようなことが起こるのですね、歌がキーワードで、皇后さまの心を動かしたのだと思います。

その中には、long forという言葉を使ったらどうでしょうかとありました。long forは好き、憧れという意味ですが、直積的な言葉ではなく、慕う、お慕い申し上げるという言葉です。森は海を慕っているということです。

The sea is longing for the forest,

the forest is longing for the sea.

という言葉をいただきました。

 

そうしたら、震災の年2011年に国連が、世界森林年ということで、五大陸から森林保全に貢献している人を選ぶという制度があります、その日本代表には私が選ばれたのですが、国連でももめたようです。日本代表には選んでくれたのですが、私のような漁師が森林ヒーローになるのはあり得ないのではないかということでした。でも今はインターネットの時代なので、人の心に木を植えている、またlong forという言葉の意味も伝わり、私がヒーローになりました。震災のニュースに紛れてしまいましたが、そんなこともありました。

 

long forという言葉はどこからもってきたかというと、旧約聖書の詩篇の聖句にあるんです。私は若い頃教会に通っていたことがあり、詩、詩編がすきでした。

こんな活動をされている人は理科系の人が多いですが、やっぱり詩を読まないといけないし、日本人は歌を詠まないといけないですね。そして私が好きな聖句の詩編

 

Sicut cervus desiderat

ad fontes aquarum

Ita desiderat anima

mea ad te Deus

泉の水を求める鹿のように

わが魂は神なる御身(神様)を慕い求める

 

これは英訳すると

As a deer longs for stream of cool water,so I long for you,God.

 

皇后さまはそこを見て、long forをえらんでくださったのですね。

国連で7分間のスピーチを行ったのですが、向こうの人は聖書の慣用句に慣れ親しんでいて、意味がよくわかるので、大きな拍手をもらいました。

翻訳に際しては、一番は宗教を見なくてはならないんですね。それを皇后様が選んでくださったおかげで、私はforest heroになったのです。

 

詩を見なくてはなりませんね。いろんな団体の中に必ず一人詩人を入れておかなくてはなりません。オーガニックといい、せっかくいい思いがあっても、伝えなくてはなりません。気仙沼は歌が盛んだということで、これで評価が上がったと思います。こういうことのわかりやすいところは、一目でわかるのは、富士山です。

 

 

◆日本の自然美と海の生態系

富士山は世界遺産ですが、陸上の優美な姿のみならず、海中をみなくてはなりません。海の中に2500mくらい裾野が落ち込んでいます。冠雪していて、雪解け水が蓄えられます。地中のマグマの主成分は鉄分で、プランクトンの発生に不可欠です。富士山の白雪が溶けて地下に浸透し、森が沢山あり、そこで化学反応が起こると、森の養分が地下水に浸透し、駿河湾に流れ込みます。

 

駿河湾は500mか800mのところに白いものが海の中で降っています。東大の先生がこれはマリンスノーだというのです。植物プランクトンや動物プランクトンの死骸が雪のように降っているんです。駿河湾や相模湾の富士山水系の海は実はとても豊かな海で、植物プランクトンと動物プランクトンが合体して、海の生物生産ともかかわっているわけです。そこでぱっと思ったんです。「富士山の白雪は、実は海の幸も降らせている。マリンスノーも降らせている」。そういう風に見れば、日本という国は真ん中に山脈があり、山があり雪が降る、森に降った雪が地下水となって、日本海と太平洋に地下水が流れます。35000の河川から流れる養分が、野菜も米もオーガニックコットンも育てて、海では魚介も海藻も育てているわけです。富士山はそれを表すのにとてもいいと思っていました

 

そうしたら静岡の清水の鉄芳松(てつよしまつ)という人から手紙が来ました。潜水夫の業界の会長で、震災の時には彼の一声で、多くの潜水夫が遺体捜索をしてくれました。鉄さんと次郎長のお墓参りなどをしている内に、旅姿三人男、ディック・ミネが歌った歌を思い出したんですよ。主治医の先生が薬を飲ませてくれてなんとか行けそうなので、替え歌を一曲行きます。

 

最後に、富士山は静岡県側からの話ばかりが多いですが、山梨県側でも世界遺産でもあります。その山梨の県会議員たちがフランスのモン・サン・ミッシェルに視察に行ったそうです。ところが市民オンブズマンが、海のない山梨の県会議員がそんなところにいくのは何事か、遊びに行ったのではないかと裁判を起こしたそうです。、山梨日日新聞に手紙を書いたけれどもなしのつぶてでした。みなさんはどう思いますか?

モン・サン・ミッシェルにいくということは、フィユ・ド・メールという海の幸と白ワインを楽しみに行くんです。山梨はワインで有名になりましたが、ワインだけではなかなか売れないでしょう。じゃあ海なしの山梨が関係ないかというと、400年前からおおありなんです。山梨には甲府の駅を降りるとわかりますが、煮貝で有名です。富士山の地下水から流れた水が駿河湾の階層を育てアワビが沢山とれた。時間がかかると鮮度が落ちるので

剥いてしょうゆにつけて運んだんです。そうしたら味がすごく良くなって、今でも名物になって売っています。

この煮貝を白ワインを試してみたら、もう美味しいなんてもんじゃない(大変クオリティが高い)。だから山梨の人はワインを売るなら、アワビを増やさないといけない。

 

ところが、今富士山を見てみると、泣きたくなりますよね。あの煙突の山。よくあれで世界遺産になったものだと思います。もともと

「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける』

とまで歌われたのに、日本の最大の富士山の眺望の場なのに、そこで写真を撮ろうとすると煙突が沢山立っている、よく恥ずかしくないと思います。

また製紙工場が沢山あって、駿河湾は一時は廃液で海が真っ黒でした。

 

 

 

◆最後に

だから川の流域の人びとの心に木を植え続けないと、結局煮貝もだめになってしまう。

賛成反対と断罪するということではなく、富士山を考えるときに山梨まで一緒に考え、山梨の甲府の名物とワインの組み合わせがもっと有名にならないといけない、韮崎で富士山を見ながらにがいとワインを楽しめるようにしたら。どんどん山梨に人が来るようになるでしょう。

裁判長からも、もう一回旅費を出すからもう一度モンサンミッシェルに行き、思い切りフィユ・ド・メールと白ワインを味わってきなさいということであれば、いいと思います。

視点と見る目をちゃんとして置けば説明もつきます。日本の裁判長も縦割りの中で、山梨県民と海は別々だという結論を出してしまう、最高の知識人はこんなことではだめです。やっぱり京大のフィールド科学研究所で森里海連環学をやった学生を裁判長にしないといけないのではないかと思います。

 

おかげさまで海は復活し、牡蠣も戻ってきました。

来年2018年の6月3日は森は海の恋人の30周年です。山のように牡蠣を用意してお待ちしています。どうぞ植林にお出かけくださいますことをお勧めして終わりにしたいと思います。ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

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