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地場を育む 山田 節子氏

February 28, 2017

・はじめに

「22世紀に何を残すか」のタイトルをいただき、今さまざまに混乱する社会状況を思う時

・人を育む地場は 家庭

・仕事を育む地場は 仕事場

しかし今、それぞれの場で、きちんと躾けられ、学び育つ基本の形やルールが軽んじられる危うさを感じています。  

 

あらためて

・自然に学び

・歴史に学び

・人に学ぶ

この3つの学びを、常に続けることと思っています。

 

思いつきや、目先のことだけに主眼を置くのではなく、「必然性という裏付け」を、体感の中から発想し、考えていくべきではないかと思います。

近代以後 科学が発達し便利にはなりましたが、その分人の心は、日々貧しくなるばかりと感じます。トランプ大統領ではありませんが、「自分さえ良ければ、自国さえ良ければ」の声が平然と語られ、「物は豊か、心は貧しい」そんな時代に突入してしまった不安がぬぐえぬ日々に思えます。

 

 

ここに、日本を象徴する、美しい風景があります。

一方は、熊笹に雪・水面に散る桜の風情。もう一方が、竜安寺の石庭に代表される、自然の見立て、枯山水の庭。

 

誰もが日本らしさを感じる1992年製作されたvisions of jyapann のカタログに掲載された表徴的な日本美の世界、しかし、これとても、

 ・本物の風景を体験した人

 ・写真だけで見る人

 ・ネットで手軽に見た人

では、全く、感じられることへの深さが違います。

 

「雪、桜散る潤いの風情と対称的に自然を表徴する土と石での見立ての風情」それぞれに、この国で育まれた美の対照的な原点です。今日を見、未来を考える時、大きな力が与えられる、それぞれの手本に思え、何時も身近に置いています。

 

 

 

・地場を省みる

1985年のことでした。

銀座松屋の食品売り場に「銀のぶどう」という店が生まれました。

当時、銀座5丁目の裏通りにある、「ぶどうの木」というケーキ屋さんに連日大行列が出来ていて、当時の松屋の食品部長が「どうしても松屋に入れたい」といい、ぶどうの木の社長に会いに行くことになりました。

一風変わった人で、結論は「俺は嫌だよ」近所で同じことをやってもしょうがないだろ、と筋の通った拒絶が。

「じゃあ、新たなことを考えましょう」ということになり、1983年頃から相互でプランニングに取り掛かりました。原点に立ち返ることで、糸口が見つかったのです。

「西洋と日本の文化をミックスする」そして「時代に適った新たな風を起こす」ことに。

敗戦国日本は、自国の文化を捨て、欧米文化こそ確かなものと「和菓子より洋菓子が」「日本茶よりは、コーヒー、紅茶を飲む人が」素敵というような、欧米至上主義の嵐が雑誌の特集をはじめ、当時は、何もかもがその方向に流れていましたが?

 

どこかに違和感のあることで「この国の風土が育み、体に染み込んだものも大切なのに」

「捨てていいはずはないのに」そこから、発想の合意が始まりました。

 

日本の菓子と西洋の菓子、それぞれの原点に立ち返り、「日本の素材を生かし 西洋の技法でケーキ創る」「西洋の素材を日本の技法で 和菓子を創る」

例えば日本の菓子は「練る」文化、羊羹のように、あんこを練って練って艶と旨みを出す。対して西洋は、ホイップして空気を入れてフンワリ作る菓子文化。

 

このように、新たな試みをする時には、柔軟な発想が必要で、

これからの若い人にかかわってほしいと願い、試作を繰り返してもらいました。

 

そこから「西洋和菓子 銀のぶどう」が世に出、一世を風靡していきます。その後「東京ばな奈」などで更に大きくなっていくわけですが、このように改めて「何か新たな事を考える時、物事の本質や道理を紐解き、柔軟な若かやかな対応が肝要」なのですね。

 

今、雑誌がつまらなくなったと云われます。かつては担当者が自分で絵コンテを書き、深い思いの創意あって相談に来られたものでした。今は、何処も似かよった特集ばかりですね。ネット社会がなせる業、均質な情報源からの、似通ったデータをどう操作したかの結果の中で物事が進み、何処も同じ、人手不足の現実もあり、個性豊かな人の心から、人の創意から、何かが、生まれ、発信されてくることが、待たれているはず。それゆえに、心あるものが生まれるために、地に足の着いた「地場(ものが生まれる郷)が確かでなければ」と思うのです。

 

 

 

・「真・善・美」

銀座松屋には、1955年から始められた、グッドデザインコレクションという、「生活を豊かにし、長く使えて飽きのこない、デザイン性豊かなものを、国内外からコミッティーメンバーにより選定された」ものが並ぶ売場が、今日尚、続けられています。ところがバブル(1991年)がはじけて以降、選定するに値すべきものが、年々少なくなるばかりなのです。

世の流れが、利益追求体質に走り出し、「良いものを作るではなく」、モデルチェンジを繰り返し、煽動的に、刺激を与え買い替えさせる。「質ではなくて 量の回転如何」の時代に入ってしまいました。携帯電話が 解りやすい例ですよね。

2013年に売場をリニューアルすることになり、改めて半世紀余、選ばれた7千点余のものを再点検してみました。しかしながら、記憶に残る、使い勝手の良い名品といえども、生産効率の悪さや、回転率の悪さなど、国の内外を問わず、これぞと思う品物は、すでにほとんど廃番になり、今や入手できなくなっていました。

近年では、ものの質より、経営効果、企業理念に基づいたもの作りは、どこかに消えてしまっているのが、残念ながら今の現実であると、実感させられた出来事でした。

 

でもそんな社会は、「真」は無いはずですのに。私達は22世紀にこの地球を、本当に美しいまま渡せるのでしょうか?人類はほんとうに地球上で生きていけるのでしょうか?(使い尽くし、捨て続け、乾ききってしまわぬために)そのためにはどうしていくべきなのか?誰もが、真剣に考えないといけない時に 立たされていると思うのです。

 

一つの解は

「日々を丁寧に暮らす」ことではないかと思うのです。

今は一人暮らしの方も、お子さんのいない家庭も多いのですが。

日々を生きる核となる場、場の整え、何事によらず、大切に生きることではないかと思います。

 

このサロンにも今、心ある人が集まっています。人と人が出会う場で、その時を丁寧に過ごすこと、その積み重ねが大切なことではないかと思うのです。

 

「真・善・美」

 

真に必要か、そして善いことか、それは美しいか。

私がいつも考え、古くて新しい、心のものさしなのですが。

 

 たとえば今使っているこのスクリーン、事前にテストしてみますと、スクリーン替わりの布にシワが寄って画像が少し歪んで映ります。それを、貼り跡を残さないようテープで裏留めし、洗濯バサミで見えないよう固定することで、改善することができました。その時、ここに居合わせた方々が、これは・あれはと気持ちよくスピーディーに修正作業に参加下さる、その工夫、その動きの行為が実は何より大切なのです。躾というと、怖い事に聞こえますが、現場に立ち会い、手伝い、覚え、身に備える。労を惜しまず、「生活も、仕事も、様々な行為も」、自然体で動ける。楽しんで生きられる、ことこそ伝えたいことと思います。気持ちよく 些細なことでも 楽しめることではないかと思うからです。

 

 

 

 

・日々を丁寧に暮らす。

かつて、モダンリビングの食器シリーズに連載した中からの食卓のセッティングです。

季節の景色季節の記憶に倣い、テーブルを整えます。

グレーに白のアラレ文様のクロスを選び雪降る季節を、庭の木瓜の枝を折って箸置きにすることで、春待つ、冬の景色が生まれます。

もう一方は、石庭に倣ったようなセッティング。モノトーンの落ち着いた、静かな器揃え、盛り付ける料理を引き立てる器組で、猫柳の箸置きでまとめます。

 

テーブルセッティングも、毎日の生活の楽しみ。いくつもの季節の情景を、幾つの季節の色を知っていることが大切です。それには、小さなときから季節を見、季節を感じ、季節と遊ぶ。自分の中に風景の感動を喜びを貯めおくことが肝要です。でも今からでも遅くはありません。季節を着替え、日々を慈しむこと忘れずにと願うのです。

 

今、世界中から日本へ 観光客が来てくれますが、その中で、美の国・食の国、フランス人の憧れは?どこかご存知ですか?フランス人が一番多いのが「金沢」なのです。

 

金沢のすごいところは、ブーム以前に、市が、街が、人が、料理人をパリに、パリの料理人が金沢に来る道筋を、推奨し、準備し、結果として、「日本に行ったら金沢に」と。

すでに豪華客船が停泊できる港も準備されていて、ホテルの不足を船で補う。結果、ホテル代分、美味しいものを食べてもらうことまで計算済み。

筋道を読み、確かな戦略を金沢市は着々と進めていて、他にも、学ぶことの何と多い処かと思います。

 

これは、昨日今日にはじめられたことではなく、加賀藩・前田家は、外様大名でしたから、幕府に睨まれないために、様々な策を生活文化として、積み重ね実行してきた歴史があります。昨年私も初めて知った事なのですが、真夏に江戸幕府へ、最上位の贈り物をするために、冬の内に、降る雪を氷室に集め保存し、盛夏に、藁のむしろに包み、江戸に三日三晩飛脚を走らせ、中元として将軍に届けたとのこと。無事にと願い、神に饅頭を神に進ぜ、人々も饅頭をいただきながら、江戸に無事に届くことを祈念したとのこと。老舗から、今ではコンビニでも、貴賎を問わず多くの人の楽しみに仕立て楽しまれていると知りました。

・受け継ぎ、受け継がれる文化

昨夏、東京銀座にある、「銀座の金沢」のギャラリーで、その日に合わせ、金沢工芸の展示会が開かれましたが、展示作品に氷室の氷を盛り、皆でお饅頭をいただきながら、暑い暑い東京の銀座でのお裾分け。参加させていただいた一同、「流石 加賀様、加賀文化、見事な文化」と楽しませて貰いました。

 

文化はそれぞれの家や場、それぞれの地域ではじまり、時代に合わせ育まれ、未来に向けて繋ぐもの。繋がれるもの。たとえ、お漬物一つ文化です。家により、人により違います。それがお裾分けされながら、比べ合うことで、地域の味や表情として作り上げ、「この地域・この国らしさ」として世界中の人の心を震わせることになるのです。

 

日本を代表するテキスタイルデザイナー粟辻 博さん(1995年没)は、京都西陣に生まれました。若き日、京都の伝統的因習になじめず、「早く京都を出なければ」と思い、海外文化に憧れ、デザイン表現に情念を燃やした方でした。「同じく、グラフィックデザイナー田中一光さん、かつてマリメッコのデザイナーとして活躍し、今SOU・SOUから表現活動を発信されている脇阪克二さんも然り」です。しかしながら、京都に生まれ、その歴史、その風景、その色濃い文化は、血の中に心の中に記憶され、消化されそれぞれに、世界で評価される、日本的なるものがダイナミックに溢れます。右端の粟辻さんの毎朝のように使う器の一枚。使うことで、気分がが高揚し、気持ちの良い一日が始められます。

 

残念ながら、スーパーやコンビニの惣菜を買って、盛り直すどころか、パッケージそのまま食べる人が増えるばかりの現実。これでは日々の暮らしは、貧しくなるばかです。

 

 

 

・365日食べる時、食べることを豊かにする

食に関して言えば、「調味料だけでも合成ものはやめる」。美味しい醤油と塩と酢があれば、それだけでも、素材そのまま,かけて、合わせて、十分美味しく食べられます。

そして、食べ物のキャンバスとなる、テーブルの上を片付け、心を入れて器を選び盛るだけで、生気が、体調が、変わります。。最初はちょっと面倒でも、やりつけることで、スピードも、楽しさもアップしてくるものです。忙しくとも、是非にと願うことの一つです。 

合鹿椀です。輪島の近く合鹿村で作られたといわれます。両手に抱え粥をすすったと云われる、美しい碗です。

年貢のとりたてが厳しく、庶民の暮らしは粗末であった時代に、粥や雑炊を、ありがたく啜った、その感謝の思いが形になった「見事で豊かな造形椀」です。

今、溢れるほどの食の時代でありながら、紙やプラスチックの捨てる器で食べる日常の生活。合鹿椀に託された、食べられることへの感謝の心が消えつつあることが、問題ではないでしょうか。携帯片手に平気でほうばる。「頂きます」「ありがとう」そんな声すら消えそうですね。

 

右の写真は、40年近く前の我家の親子器です。キャラクター入りの、割れない、プラスチックの器が多いのですが、あれは子供の情操教育にはなりません。生まれた時から、ちゃんとした器でなぜ育てないのか。小さい時から、落としたら割れる、投げたら壊れるということを体感させないといけないのに。この写真の汁椀、飯椀は、双子の息子たちが学校に行くまで使い、今また、孫達にも、使ってもらっています。漆椀は軽くて、冷めにくく、持つ手には熱くない、よき器です。習い事や塾に行き、立ち食いでハンバーグを食べることとは異なる、何より大切なことに思うのです。

 

 

 

・「坊や、これが本物の卵だよ」

1980年のことでした。子供たちが三才の誕生祝いを椿山荘でしました。

そのとき玉子料理が出たのです。

それを食べたとたん、久々に出会った「それは本物の玉子の味」でした。私たちの小さな頃に食べた、おいしい美味しい玉子の味でした。

これはどのような玉子ですかと聞きましたら、料理長が出て来られて、「那須御用邸の近く、自家牧場から届く平飼いの玉子です」と云われました。その時、平飼い、という言葉を久びさに聞いたと思いました。

60年代から登場したスーパーマーケット、その頃は品揃えと量での競争の激しい全盛期に向かい、値ごろで均質なものが良しとされ、鶏達も工場のようなケイジに押し込められ、卵を産む機械のごとく飼育され、合理的大量生産が勝ち組で、大事なものが、大事なことが、日に日に置き去りになっていった時代でした。

 

子供たちの世代にこの味を伝えたいと願い、松屋の食品の担当者に相談しましたが、その頃は、「平飼いなんてとんでもない。万が一、草の影や、拾い忘れで、古い卵が混じって健康被害が出たら」賠償問題になると、取り合ってもらえませんでした。

諦めずになんとかしたいと思い続けていましたら、羽毛田さんという日頃は静かにコツコツと自分の持ち場を守られておいでの方が、「八王子の山の奥に正直村というところがあり、そこには、平飼いの玉子があるらしいので、休みの日に行ってきます」と言われ、買ってきてくださったのです。卵は椿山荘には及ばないものの、おいしい玉子でした。

 

丁度その頃、企業メッセージ発信が重視され始めた時代が追い風になりました。

「企業宣言広告にしたら通るのではないか」と当時企業戦略を考える、社内デザイナー水野氏の企画提案が通り、1981年「本物シリーズ」として、日経新聞夕刊1ページの企業メッセージ広告「坊や・これが本当の玉子だよ」を発信出来たことは、忘れられない生活提案となりました。普通の卵の5倍程の価格でしたが、翌朝10時開店で、1箱6個入り、280円の玉子は1時間程で完売したのです。その時「人は信頼に足るもの」との思いを深くしました。一生懸命やっていれば、通じる人がかならずいる。その人達と一緒に頑張れば形になっていく。この経験があって、人の力、人の心への信頼が、常に私を支えてくれて、今日まで。家族あって、仕事が生まれ、善き仕事仲間があって、確かなお客様に出会える。

そして、何よりも、心ある作り手との出会いがあって「繋ぐ仕事」コーディネーター冥利を感じたことでした。

 

 

 

・自然の旨みを体感するー「茶の葉」について        

さらに、銀座松屋の中に「茶の葉」という店があります。1982年にオープンし、もう30年以上。静かに見事に、変わることなく食品売り場に存在してくれています。

当時、合理化、大量の波は農業にも。茶畑にも化学肥料が大量に投入され、かつてお茶は、三煎まで美味しく出ましたが、その頃のお茶は、なぜか一煎だけトロット、口に残る濃い旨みがが。もう二煎目からは空茶のように、味も美味もなくなってしまいました。お茶屋さんに聞きましたら、「知らないのですか、お茶を美味しくするために、グルタミンサンソーが入っているんですよ」。だから一煎目はトロット甘いお茶になるのですが、二煎、三煎目は出なくなるのです。

 

1955年に化学調味料が発売され、それ以降に生まれた人は、化学調味料の味に舌が席巻され、濃い味でないと満足しない。それは、自然の旨みを追いやる災いと云えましょう。

そのために、お茶の品評会で選ばれるお茶すらも、客の好みに合わせ、お茶本来の味よりは、市場が求める味へと、流れて行っていたのでした。「昔のあの、本物のお茶」を買える売場が欲しいと真剣に思いました。静岡の心あるお茶屋さんが協力してくれることになりましたが、おいしい本物のお茶は、化学肥料を使わない茶畑のお茶でなければならぬとのこと。一度入った化学肥料が土から消えるには「10年はかかる」とのこと。だから、宣伝をしないこと。値引きも一切しないこと。百貨店にとっては、異例の条件付きでお店を作ってもらいました。お茶の入れ方が見え、確かな味のお茶が楽しめる。7席だけの茶席のある、お茶売場が静かにスタートしました。今では何時行ってもお客様で一杯ですが、約10年、バブルがはじけるまで静かに静かに存在してきました。その間、お茶の教室も開かれ、店主はもちろん、そこで学んだ人がお店のファンになり、店に立たれ、何でも丁寧に答えてくれ、季節のしつらえ、季節のお菓子も、味わえ、そして本物の茶葉が買える宝箱のような売場です。

 

茶席には水の音があり、その水井戸には常に季節の草木が。空間素材は自然素材で、30年たった今、味わいが深かまり、固有文化の今を見せて、味わう、銀座のオアシス。この趣きの確かな空間デザインとコンセプトは都市計画家のディレクターと店主のお茶への執念で持ちこたえられていると、何時も感謝の思いで、一服させていただく、茶席です。

真なる・善なる・そして美なる空間が30年余。ありがたい事と思うのです。

 

 

 

 

・都会の生活を豊かにする緑ー「置庭」について

伊住政和さんとは茶道の世界ではなく、20年間程ご一緒に仕事をさせていただきました。44歳の若さでお亡くなりになれてしまいましたが、日本文化のこれからを常に考え、守破離の今を考え続けておいででした。

ある時、「京都の和庭の趣を、東京という乾いた都会に広められないか」と、呪文のように宿題をもらったことがありました。

ある時、我が家にお出でになられた日のこと。夏場は水がすぐに腐れ、切り花のもちが悪く、繁茂する「ドクダミ」と入口の塀沿いに育てている「木賊」を、根ごと鉢に寄せ植えて置きました。

伊住さんが「いいね」と云われ、そこから話が進み、京都の庭のごとく苔を置く。庭の景色をそのまま鉢の中に創り出し「置庭」をシンボルに、創園がスタートしました。

 

乾いた都会の空間に緑がある。毎日会話するごとく、水やりをする。それだけで、緑が花が紅葉が、日々を豊かに幸せにしてくれると、夢中になりました。

その後、嬉しことに。苔玉や景色盆栽として、広がりが。

伊住さんが今お出でならば、如何なる、守破離が、宿題がと惜しまれます。

千利休以来の伝統の中で育ち、常に「守破離」を願った、「人」との出会い、学ぶこと多く是もまた、掛がえ無き事でありました。

 

     

 

・祈りのかたち

家長制が崩壊し、人の縁が薄れる中で「人は如何に生まれ、如何に死を迎えるのか」。

日に日に進攻する大きな社会問題であり、一人一人に問いかけられる、誰もが通らなけれ

ばならぬ、課題です。今から18年前のことでした、会津の仏壇製造販売会社から、思いもかけぬ、企業再生の仕事を、旧知の会津の阪本さんから舞い込んできました。戦後、家長制が廃止され、個人の自由に主眼が置かれて70年。家という感覚が薄れる中で、生活空間も、生活習慣も様変わりし、親子の縁も希薄に。親の弔いすらもしない、出来ない人が増えつつある昨今。一人暮らしの人も増え、人の縁、地域との縁もれる中で、弔いのカタチも、ましてや仏壇が売れなくなるのは当然のこと。

 

そこで、仏壇屋さんを何件か覗いてみますと、家電の安売りのごとく、仏壇に仏壇を積み上げ、値引きの赤札を下げ、形骸化したお仏壇が無表情に存在している現状でした。

家長制が崩壊した今であれば、家を守る仏壇ではなく、現代の生活空間に似合う、個人の生き方に適った、祈りの形が不可欠ではないか?と思い至り、玉虫の厨子に想い至りました。

 

古来、厨子は大切なものを納める戸棚のことでした。人が生きるために、食物を頂く器を納める食器棚のことでしたが、飛鳥時代、仏教伝来とともに、経典など祈りの対象が大切なもとして納められるようになり、さらに、個への思いを弔い納める棚に。それが玉虫厨子に由来する存在であるならば、個の生き方を重んじ、神聖感、清浄感ある棚を創ることを始めることとなりました。。

 

「祈りの文化」を今の人の心に届けるためには、卓越したクリエーターの力なくしては、始まりません。こんな仕事は、共に歩み続けた仕事仲間のデザイナー、(昨年亡くなられた内田繁さん)に、まず、デザインしてもらうことから始めました。

 

赤い扉の厨子が試作されました。

旧来の営業マンたち「こんなもの」と訝しがる日が続きましたが、ライフスタイル展に出展しましたら、以外なことに普通のおじさんが「こんな仏壇なら入ってもいいな」と言ってくれたことがきっかけとなり、仏壇業に新しい風が吹き始めたのでした。

工芸家に依頼した椿の厨子、過去の寺社仏閣に倣い再興した厨子等々。

今になれば、やらねばならなかった仕事であったと、改めて思いを深めながら、まだまだ模索の日々が続きますが、弔いの心で手を合わせ、平穏無事を願う、自分の心の置き場という存在は、形を変えながらも、宗派宗門を問わず、不可欠なものと感じつつ、模索の日々が続きます。祈りも又、いかなる形であろうとも、人の暮らしによりそうものであれば、

石ころ一つであろうとも、その人その人に適った、形があり、

それを如何に置くのか。

 

やることが、やらねばならぬことは、まだまだ山積ですが?

適う限り、一つ一つ、未来の扉を開くべく、日常茶飯を大切に

考えて生きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

渡邊知惠子と山田節子さんトーク

 

渡:山田さんとの出会いは、松屋の7階の「ピュア」ショップへの出店でした。1994年です。ここは、普段脇役になっているものにスポットを当て、本物の脇役、それを作ってくれる職人さんの気持ちが表現できることをテーマにしていました。

私はオーガニックコットンを商っていて、でもそれを広めるのにアーティストの力を借りたいと、100人のアーティストにTシャツのイラストを描いてもらいました。共通テーマは「愛サポート・オーガニックコットン」。田中一光さんを始め、沢山のデザイナーに参加してもらい、18年かかって100人プロジェクトが完了しました。

 

山:オーガニックの隣りはニールズヤードでした。「自然基礎化粧品」の元祖のようなブランドで、古くよりの知人の梶原さんがイギリスから持ち込まれ、これもお披露目。さらに炭屋さん・そして草の葉石鹸と、どれも、これから必要とされるであろう、「ピュア」へのこだわりを集めた実験ショップでした。真善美という観点、オーガニックコットンは、素材は良いけれどデザインももっと良くなってと願い、現・奥森取締役(旧姓山口)を、プリスティンに送り込むため、我が家でお見合いもしましたね。

 

渡:松屋の『ピュア』の出店がその後の梅田阪急や日本橋三越など、プリスティンの百貨店出店へのきっかけになりました。山田さんの「日々の生活を丁寧に」は本当に素晴らしく、学ぶことが沢山です。ご主人が「毎日が料亭です」とおっしゃるくらい。

 

山:料理もデザイン、材料、味、色味、盛り付け、器選びの組み合わせなどの要領が、手早く、楽しめるがけなのですね。

 

渡:双子を育てご主人もいらして、かつご出張も多いのに、ちゃんと食事を作られ、それも「毎日が料亭」。その食卓を是非再現していただきたいと思うくらいです。日本人が残すべき日常、丁寧な日常のお手本が山田さんのおうちにあります。

 

山:毎日の生活の基本が、整理整頓と分類です。「きれい」になります。そして余計なものがない、ということが私の設えの基本です。

飾りたてるとは対極の、日本の伝統的な素の住まい方を、現代にと思います。。

 

渡:私たちも毎日会社の掃除をし、朝礼をやりますが、毎日の変わらない事の積み重ねが力になっていくんだなと思います。

 

山:それが、小さいときにから身に着いたものであれば苦にならずできるものです。

私は就職試験を受けたことがなくて、美大を出てから柳宗理先生のところに出入りするようになったのですが、そのきっかけは、柳事務所は所員交代でお昼を作っていましたが、外国からのお客様がある時、先生から電話が入り「君、昼飯を作りに来なさい」と。そんなきっかけから約1年余修行の時が与えられ、本物のデザインに触れ、ものを見る目を訓練され、先生の資料の整理を命じられ、それは宝物だらけで、本当に貴重な時間でした。

その経験は、「私の道しるべ」となり、助けてもらっています。

 

渡:若い人に何を残していきたいですか?

 

山:幼いころより、多くの人に出会い、教えられ 学ばせてもらえた体感の記憶が私を今に導いてくれていると思っています。体験がエネルギーとなり、必然性が芽生えます。

その出会いを多く作ることでしょうか

 

 

渡:おばあちゃんの歳になったときにこういうお話をできるか、その人達の原体験を作ってあげられるか、が問われますね。

 

山:子どもは宝物。自分の子供もよその子も同じ、みんな慈しむ、という心が消えています。その「慈しむ」心をもう一度取り戻さないといけないと思っています。「他者に対する慈しみの心を忘れぬこと」だと思います。「慈しんで美しく生きる」

 

渡:日本はこれからどうあるべきでしょうか。そして、山田さんご自身はどう仕事をしていかれるのでしょうか。

 

山:先程も申し上げたように、試験を受けたことがありません。ご縁があってこういう道を歩んできましたが、いつもひらめきで乗り切ってきました。自然豊かで 美しく・平和な地球を そして 生活を手渡すことに可能な限り心を尽くしていけたらと思います。

 

 

 

 

 

 

 

<講師プロフィール>

多摩美術大学卒業 。1988年株式会社TWIN設立、代表就任 。商品企画・店舗企画・展覧会企画・企業戦略立案推進などを通し、ライフスタイル提案として「もの・人・場」のプロデュースを手掛ける。

1976年から現在まで銀座松屋とそのシンクタンクタンクである東京生活究所に席を置き、百貨店戦略全般にわたり提案・推進・教育等継続。 

1999年から福島・会津のアルテマイスターと、そのアンテナショップである銀座・ギャラリー厨子屋の企業戦略・企画提案・社員教育全般にかかわり推進。

地場産業の指導育成、教育現場、各種審査委員など多岐にわたり,多くの展覧会企画などを通し、クリエーターの育成などに積極に取り組んでいる。

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